『DEATH NOTE デスノート 前編』(金子修介)

丸の内プラゼールにて。
 
わたしが一番引っかかるのは、藤原竜也がノートに人の名前を書き込む時の、その書き方なのです。いったい、現役大学生にして司法試験一発合格するような秀才で、毎晩夕食後は勉学にいそしんでいるような人物が、ノートに文字を書く時にああいう書き方をするものでしょうか。罫線を無視してページのど真ん中にでかでかと書き込むようなことはせず、几帳面に罫線に沿って名前を書き連ねていくのではないでしょうか*1。ある種の固定観念は、異常な状況のもとにあってこそ、おかしなほど厳密に機能するものです。几帳面さは藤原竜也演ずる主人公の性格設定として非常に重要な要素のはずですから、その意味でもここはおろそかにしてほしくなかったところです。
南空ナオミをめぐるエピソードは、原作においてもいろいろな可能性を秘めていた部分であり、わたしとしてはコミック最終巻で最後の最後に南空ナオミがなんらかのかたちで夜神月に対する決定的な有罪判決をもたらすのではないかと期待していたほどです(残念ながらその期待が実現されることはありませんでしたが)。わたしが観たかったのは映画版とは違うものなのですが、あれはあれでひとつの選択肢と言えますし、決して悪くはないと思います。
他方で、これは見ることと見られることをめぐる物語なのですが、その部分にあえて焦点化しないことで金子修介が試みたことが刺激的なものとなり得ているかとなると、大変心許なく感じられます。例えば物語展開のスピードはとてももたついて見えますし、死神が全くまがまがしく見えないのも問題です。
(8/6記)

*1:さすがにバスジャックの場面など細かい死亡状況を書き込むことになると、几帳面な書き方に変わっていましたが。