『ロボコップ』(ポール・ヴァーホーヴェン)

DVDで、もう一度。
その近未来SF的な設定にもかかわらず、この映画はとても古典的な相貌を持っています。物語的な構成もさることながら、例えばカートウッド・スミスに撃たれたナンシー・アレンが砂利の斜面を転げ落ちるショットなどを見ても、古典的な西部劇の感触をそこに見出すことは決して難しくないでしょう。映画の法則への忠実さは、悪人が高いところから落下するラストにも如実に表れています。標的までの距離の計測の正確さを特徴とするターミネーターとは異なり、ロボコップはマシーンとしての機能の失調を印象づける存在であり、その点から言ってもポール・ヴァーホーヴェンの資質はジェームズ・キャメロン(あるいはスティーヴン・スピルバーグ)とはいささか異なるようです。
ロボコップにおける「マシーンとしての機能の失調」は、主として「記憶」の問題として表出されます。抑圧された映画的「記憶」の復権という物語をそこに読みとることは、上記のような理由からあながち誤りだとは言えないように思いますが、その映画的「記憶」の復権が人体改造により身体を機械化(奇形化)された主人公を通してしか語られ得ないという点こそが重要であり、そこにわたしたちはポール・ヴァーホーヴェンの倒錯的な現代性を強く感じます。