『悪魔の呼ぶ海へ』(キャスリン・ビグロー)

待ちに待った『ニア・ダーク 月夜の出来事』の国内盤DVD発売(9/21です)を記念して、今月は個人的にキャスリン・ビグロー祭りを開催いたします。ということで、スタートは2000年作品のこれを、DVDで。観るのは2回目です。
過去の事件の真相があっけなく表面化し、逆に現代パートの方が混沌としてミステリアスな相貌を帯びることになるこの作品の、ある意味では「深さを欠いた」「底の浅い」印象を与えもする語りこそが、キャスリン・ビグローの優れた映画的才能を証立てていると感じます。サラ・ポーリーが鼻歌を歌う、あれはノルウェーの民謡なのでしょうか、その旋律がとても印象的なのですが、彼女が人を殺めた後に飲むお茶、裁判で自分の犯した罪を着せるべく無実の男を指さす前に口にするグラスの水が、現代パートにおいてその事件に取り憑かれているキャサリン・マコーマックではなく、ショーン・ペンが飲み続けるワインに重なってくるあたりも、とてもおもしろく感じられます。
キャサリン・マコーマックは「見る」人であり、キャメラで事件の現場を撮影すると同時に、ファインダーごしにショーン・ペンジョシュ・ルーカスエリザベス・ハーレイを「見る」わけですが、その「見る」行為が逆に対象との距離の計測を誤らせ、適正なバランス感覚の喪失を呼び込みます。対するサラ・ポーリーは「見られる」人ですが、それは彼女の楽園喪失が「見られる」ことに端を発するとともに、キャサリン・マコーマックによって100年の年月を超えて「見られている」ということでもあります。対象(=兄)との無媒介的接触こそがサラ・ポーリーの願望であり、「見られる」こと=対象との距離の顕在化は彼女にとって苦痛でしかないのですが、だからこそ彼女は自身が殺した義姉の見開かれた瞳(それはファインダーごしにこちらを見つめるキャサリン・マコーマックの瞳そのものでもあります)に耐えられず、その瞳を薄布で覆い隠したのでしょう。