『ファイナルファンタジーXIII-2』(スクウェア・エニックス)

ファイナルファンタジーXIII-2 - PS3

ファイナルファンタジーXIII-2 - PS3

本日トロフィー100%達成しました。プレイ時間は73時間。PS3のゲームでトロフィー100%は初めてかもしれない…。


以下、ネタバレありますので折りたたみます。


















バトルシステムは前作とほぼ同じで、前作もそうでしたが非常におもしろいと感じました。一見○ボタン連打に見えますが、強敵を相手にする場合それでは勝てず、パラダイムシフトで戦局に応じてロールを頻繁に切り替える必要があります。従来のRPGではターンごとにどのコマンドを入力するか(どのタイミングでアイテムを使い、どこでMPを消費して魔法を使うか)や、どのキャラクターの組み合わせでダンジョンに立ち向かうかというパーティ編成が重要だったわけですが、『ファイナルファンタジーXIII-2』(以下『FF13-2』)にあっては、それぞれのロールで実行するアクションそのものよりも(強敵相手にはもちろんそれも重要な要素なのですが)、バトル中のどのタイミングでロールを切り替えるか、またどのようなパラダイム編成(ロールの組み合わせ)をあらかじめセットしておくかという戦術面にこそ力点が置かれているという点で画期的なシステムだと思いますし、このシステムによってバトルにスピード感と爽快感が生まれています。


このことは強敵相手の場合に限りません。たとえば雑魚敵相手でも、いかに早く殲滅して星5つの評価を出すかが重要になります。このゲームでは3人目のパーティメンバーであるモンスターの育成がひとつのキモとなるのですが、育成に用いるアイテムをすべてショップでまかなおうとすると多額のギルが必要になります。ですのでバトルの戦利品としてより多くの育成アイテムを入手したいわけですが、そのためにはバトルで星5つの評価を出してアイテムドロップ率を上げなければならないわけです。バトルの評価は殲滅スピードに依存しているため、星5つを出し続けるにはそれなりの装備と戦い方が要求されます。このタイムアタック的要素もまた、バトルにスピード感をもたらすおおきな要因となっています。


移動や話の進め方の自由度に関して言えば、前作の反省を活かしてのことでしょうが、「一本道」感はかなり抑えられていたかと思いますし、他方で最初のエンディングに到達するまでは押しつけがましくない程度にしっかり進むべき道がガイドされていて、気持ちよくプレイすることができました。その点でも非常にバランスのとれた設計になっていたかと思います。




さて、問題は物語です。わたしは最初のエンディングに30時間でたどり着いたのですが、その内容(最後の最後でどん底に突き落とされる、いわゆる「鬱エンド」)とそれに続く「to be continued...」の文字を見て、当然この先さらにゲームを進めることでいわゆる「トゥルーエンド」に到達し、そこではハッピーエンドとはいかなくとも、それなりのカタルシスを得られる結末を迎えることができるものだとばかり思っていました。ところが最後まで進めた方はおわかりの通り、あれが『FF13-2』のエンディングなわけです。これにはひどく脱力させられました。


これはパブリシティの問題でもあります。わたしはさほど熱心に追いかけていませんでしたので、ひょっとするとより実情に近い、正確な情報も開示されていたのかもしれませんが、「周回プレイ前提」「FFシリーズ初のマルチエンディングを採用」といった事前情報だけを耳にしていれば、最初のものと同等のボリューム感のあるエンディングが複数用意されていると解釈してしまうのではないでしょうか。ところが8つあるパラドクスエンディングは、そのどれもが非常に短いエピソード的なものでしかありません。また一番最後に用意されたシークレットエンディングを見るためにはフラグメントをコンプリートする必要があるわけですが、あのクイズ地獄をくぐり抜けカジノのラッキーコイン取得を成し遂げて、苦労の末どうにかこうにかシークレットエンディングにたどり着いてみれば、結末が変わるわけでもなく、2分程度の短いムービーが追加されただけという…。「to be continued...」も含めて、あれは要するに『FF13-3』の予告編のつもりなのですよね、きっと。


わたしは『FF13-3』に続く、という終わらせ方そのものが悪いとは思いません。これも事前の告知のしかたでしょうが、『FF13』シリーズは三部作を予定していて、今回の『FF13-2』はその2作目に相当しますよ、ということがあらかじめ伝えられていたならば、なんの問題もなかったと思うのです。要するに『スター・ウォーズ』旧三部作の2作目、『帝国の逆襲』なわけで、そう思えばあのエンディングも完結編への期待に転化されうるというものです。といいますか、すでにわたしのなかでは(現時点ではまだ発表されていない)完結編への期待が芽生え始めているのですが、しかしちゃんと決着がつくと思って長時間かけて進めてきたお話が、ああいう後味の悪い結末を迎え、さらに「次回作につづく」で締めくくられるのは、やはり納得のいくことではないでしょう。その意味から言っても、いわゆるやりこみ要素のコンプリートをシークレットエンディングの必須条件としたのは、いささかやり過ぎなように思います。もう少しハードルを下げて、たとえば160あるフラグメントのうち150まで集めれば見られる、という程度でもよかったのではないでしょうか。
(もちろん件のシークレットエンディングを見終えたあととなっては、なるほどこれは単なるおまけで、このムービーもやりこみ要素のひとつなのだと理解できますが、プレイヤー側からすれば、そこにたどり着くまでそれがおまけ程度のものとは考えておらず、トゥルーエンドだと思い込んで突き進んでいるわけですから、なおさら肩すかしを食らってしまうのです。)




というわけで告知方法にはおおいに不満があるのですが、そのことはいったん忘れるとして、このように単体の作品で物語の決着をつけずに終わるというのは、歴代FFナンバリングタイトルでも初めての試みだと思います。またパーティメンバーとなるキャラクターが主人公のふたりのみであること、タイムパラドクスの主題と時空間の行き来を全面化した物語(未来が決まればそれにともなって過去も確定されるという「シュレーディンガーの猫」的主題)などもまた、わたしの記憶が正しければ、FFシリーズで初めての要素ではないでしょうか。推測に過ぎませんが、「ヒストリアクロス」のシステムも含めてのこれらの新しさは、三部作の2作目であるが故の自由さを製作者側が存分に活用した結果なのかもしれません。従来の枠組みにとらわれず、ちょっと毛色の変わったお話を、というような。そして時間の主題によって物語全体にもたらされる哀しみの感覚もまた、これまでのFFシリーズとは若干異なるもののように感じました。


欲を言うなら、主人公たちを駆動する情動・願望が、もう少し純粋でストレートなものであったほうがよかった気はします。セラは姉であるライトニングに会いたいという強い想いから時空を超える旅に出るのですが、歴史を正すことが姉を取り戻すことにつながると理解するあたりから徐々に話が混濁していき、歴史を正すことと姉を探すことのどちらが優先されるべきなのかが明瞭でなくなり、結果プレイヤーの気持ちとは自ずと乖離せざるを得なかったと言えます。歴史を変えるとセラが死に近づくことをプレイヤー側が察しているだけに、なおさらそうです。自身の命とひきかえに歴史を正しても、それでは結局姉と暮らすことはできないわけですから。(とはいえ、主人公の感情に寄り添うことができないのはなにも今作に限ったことではなく、ここ数作のFFナンバリングタイトルに顕著なことではあるのですが。プレイヤーはあくまで「観客」であり、世界の外側から物語の進行を見つめる存在に過ぎず、ストーリーを先へと進めることだけがプレイの原動力となるという構図。)


一方ノエルは最初ライトニングに命ぜられてセラを彼女のもとに届けるために行動するわけですが、途中からセラとユールを重ね合わせ、ユールを守ることができなかったかつての自分を悔い、セラを救いたいという気持ちを持つに至るわけで、物語のとりあえずの結末から言っても、むしろノエルを主人公として明確化すべきだった気がします。導入部はあきらかにセラが主人公であり、ノエルは外の世界からやってきた闖入者に過ぎなかったわけで、ここに混乱の原因があるように思います。もしかすると物語の進行にともなって主人公がセラからノエルへと切り替わるようなことをイメージしていたのかもしれませんが、あまりうまくいっているようには感じられませんでした。




だらだらと感想を書き連ねてきましたが、前作『FF13』同様、バトルシステムの新鮮さ・爽快感と物語の先細り感とが釣り合っていないという印象は持ちつつも、また求めていた「トゥルーエンド」を与えられずに終わってしまったという不満足感はありつつも、結局はトロフィーをコンプリートするところまで楽しく遊んでしまったのも事実であります。おそらくは完結編となるであろう『FF13-3』には、今回の分も含めてのおおきな物語とおおきなカタルシスを、期待しています。



ちなみにフラグメントでいちばん苦労したのはヨミ戦でした。6、7回は負けたと思います。エネミーレポートのためのアッティラ戦は、カンスト後のチャレンジだったこともあり、ヨミ戦に比べればかなり楽でした。




(1/8追記)
未来を変えることで死に近づく、歴史改変の代償として対価を求められる、という設定は昨年放送されたテレビアニメ『輪るピングドラム』の物語を想起させます。そして確かに、セラによる歴史の改変と桃果(と苹果)の行った「運命の乗り換え」とは「無償の贈与」という点で同等のもののように見えますし、眞悧の体現する呪いとカイアスの抱える不死の呪いを同一のものと見なすこともできそうです。


このように曖昧な表現にならざるを得ないのは、なによりもまず『FF13-2』の物語がいまだ完結していないからですし、あらためて言うまでもなくロールプレイングゲームとアニメーションでは根本的に物語の語り方が異なるからでもあります。しかしともあれ、『FF13』シリーズ完結編において、『輪るピングドラム』の主題系が、別の視点から、別の方法で語り直されるかもしれないということです。楽しみに待とうと思います。