『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ)

吉祥寺オデヲンにて。素晴らしかったです。


(1/17追記)
人質交換の物語、しかも交換場所が橋の上となればそれだけでも充分魅力的なのですが、スピルバーグはそこに「見ること」「見られること」の主題を加えて、より一層映画的な主題系をかたちづくることに成功しています。


ファーストショットで自画像を描くために「鏡」に映る自身を見つめる初老のスパイは、「絵画」の主題を通して「見る人」として示されます。中盤以降に登場するもうひとりのスパイ(合衆国側のスパイ)もまた、高性能なキャメラを備えた偵察機を操縦するという任務を引き受ける、いわば「見る人」なのですが、彼ら自身もまた監視の対象であり、他者から「見られる」こととなる。このふたりの「見る人」の受難という物語がまずあります。
対してトム・ハンクス演ずる主人公は語る人=騙る人であり、言葉の人として登場します。彼は演出家であり、いわばキャメラの後ろにいて事態を見つめることを生業としているのですが、しかし物語の最初の時点ではそのことの意味を正しく理解しているようには見えません。このような男が事件をきっかけに、通勤電車の中でも非難の視線にさらされ、時には自宅を襲撃され、マスコミのキャメラの対象となる。キャメラの後ろ側から言葉を投げかけ、事態を意のままに演出していたはずの主人公が、他者の視線の対象となるわけです。
そして最後の人質交換の場面で、自らの演出家としての仕事を見届けるべく橋のこちら側に立つトム・ハンクスは、「見る人」であるソ連スパイと並んで、橋の向こう側に視線を向けることになります。そして別れ際にスパイが描いた彼自身の肖像画を託される。ここに至って、スパイから主人公に「見ること」が受け継がれ、かつまた「見ること」が「見られること」でもあるという過酷さを主人公が最終的に引き受ける。そのことに深く感動させられます。
頻出する「鏡」と「絵画」の主題とは、こちらが見つめる対象が見つめ返してくることの表れであるように感じられました。


またこのフィルムは、スピルバーグ的な「家に帰る」物語でもあります。主人公自身の帰宅と同時に、主人公が演出した3つの「帰宅」の物語である、と言ってもいいと思います。