『15時17分、パリ行き』(クリント・イーストウッド)

新宿バルト9にて。今年初の映画はイーストウッドの新作でした。映画館で映画を観るのは昨年10月の『アウトレイジ 最終章』(北野武)以来、実に4ヶ月ぶりです。

前作『ハドソン川の奇跡』に続いてまたしても90分台のフィルムを撮ってしまうというあたり、イーストウッド作品を追ってきたものとしては大いに驚かされるわけですが、その前作で再現ではなく演出なのだと宣言してみせたイーストウッドが、同じく実話に材を取った物語を、その事件の当事者に自分自身を演じさせることで語ってみせたとしても、それが単なる「再現」であるわけがありません。というかそれ以前の問題として、タイトルにある事件そのものは上映時間のごく短い一部分でしかなく、大半は主人公たち3人の少年時代から事件に至るまでの人生や、事件の起きた列車に乗るまでのヨーロッパ旅行の顛末を描くことに費やすあたり、なんとも過激な映画です。そこでは「事件」の瞬間は特別視されず、他の時間と等価に置かれているようです。

3人組のなかでも特に中心的に描かれるアンソニーは、軍隊での試験のため仲間からもらったスプーンで手を守りつつ針仕事をしたりもするのですが、最後の「事件」で犯人に指を切られ、手から血を流すことになります。少年時代に白人ふたり組が黒人であるスペンサーと知り合い意気投合するシーンの、手を打ち合わせてする黒人風の挨拶など、いくつかのシーンで「手」が印象的に描かれていて、「手」の主題をめぐる映画として観ることもできます。