『汚名』(アルフレッド・ヒッチコック)

DVDで。この映画を観るのはこれが2回目、ひょっとすると3回目のはずなのですが、驚くべきことにほとんど細部を忘却していて、唯一覚えているのがケイリー・グラントがワインボトルを落として割ってしまう場面と、ワイン倉庫への侵入が発覚しそうになり、とっさにケイリー・グラントイングリッド・バーグマンにキスするところだけ、というていたらくでした。挙げ句の果てには、標的の愛人になって情報を収集するという任務をバーグマンが恋人のケイリー・グラントから告げられるシーンを観ていて、最近これに似た映画を観たことあったけどなんだっけ?と思う始末…そう言えば競馬場のシーンもこの作品からの引用だったのですね。
そんなことはともかく、そしてあらためて言うまでもないことですが、とんでもない傑作です。クロード・レインズのお母さん(レオポルディン・コンスタンティン)が何とも言えず強烈で、嫁=イングリッド・バーグマンが合衆国のスパイであったことを息子から知らされ、ベッドの上で半身を起こしたまま枕元から煙草を取り出し火をつける、その仕草にはしびれました。
 
(7/19追記)酔っぱらったバーグマンがケイリー・グラントを誘って夜のドライブに出かける場面で、キャメラは車のシートに並んで座るふたりを捉えるわけですが*1、どうもこの「並ぶこと」が気になってしかたありません。この作品で、イングリッド・バーグマンケイリー・グラントはたびたび横に並ぶのです。例えばクロード・レインズとの乗馬クラブでの接触シーン、ふたりは並んで馬に乗り、偶然の再会を装うべく、レインズの後ろからタイミングを計ります。上記の競馬場の場面でも、ふたりは柵の前に並んで立ち、女は自分が得た情報を男に伝えます。作品後半でふたりは定期的な情報伝達のために街のベンチを利用するわけですが、そこでも彼らは真っ正面を向いたまま、横に並んで座るのです。これらの場面と同時に有名なキスシーンを考え合わせれば、ふたりが並んで座るのは連絡員とスパイという任務上の関係にある時であり、互いを見つめ合う関係、視線を交わす関係に戻ることを拒み、恋愛感情を抑圧しようとしていることがひとまず理解できますが、と同時に並んで座る(立つ)関係とは、同じひとつの企みを共有する間柄を表わしてもいます。そしてそれはもちろん、わたしとあなたの関係と等価であり、隣同士に座るわたしとあなたが互いを見つめ合うことを放棄して、同じ方向に視線を投げかけることを選択する、それと同じ仕草を、ふたりの主人公は演じているわけです。
さて、彼らふたりが再び視線を交わし、抑圧していた恋愛感情を解き放つためには何が必要だったかと言えば、女がベッドに横たわることでした。それはすなわち、女がベンチの横に腰を下ろさないことを意味します。「横たわること」と「並ぶこと」、これもまた非常に興味深い主題です。
ラストの階段のサスペンスの美しさについても、やはり書き留めておこうと思います。バーグマンを抱きかかえてゆっくりと階段を降りてゆくケイリー・グラント、ふたりに付き添うようにして一緒に降りるクロード・レインズとレオポルディン・コンスタンティン、そして彼ら4人を階下から見上げる3人の男たち。

*1:ぐでんぐでんの状態で運転するバーグマンが、瞳に髪の毛がかかって視界が悪くなったのを霧が出たと勘違いするというゆるい笑いもこのシーンには用意されています。髪の毛がかかった時のバーグマンの見た目ショットまであります。