『ドミノ』(トニー・スコット)2回目

新宿オスカーにて。前回観た時はそれほどいいと思えなかったキーラ・ナイトレイですが、観直してみると決して悪くないです。いや、むしろ非常にいいと言っていいんじゃないでしょうか。ラストのプールの場面、水から上がった彼女が母親(ジャクリーン・ビセット)に「ママ、愛してる」と言うところではまたしても涙してしまいました。
キーラ・ナイトレイは映画の中で二回人の顔を真正面から(要するに鼻を)殴り、二回金魚をトイレに流すのですが、もうひとつこの映画で二度繰り返される行為があって、エドガー・ラミレスが建物の2階か3階から飛び降りる、というのがそれです。一度目はバウンティ・ハンター養成セミナーで参加料を取るだけ取って逃げ出すところで、エドガー・ラミレスはトイレの窓から外に出て、バッグを先に下に落としてから自分も飛び降り、ミッキー・ロークの車に乗り込むのですが、それに気づいたキーラ・ナイトレイが車の前に立ちふさがり、ナイフを投げてフロントガラスを割ります。ここで彼女は詐欺まがいの行為に怒ると同時に自分を売り込んでいるわけですが、さらに言えば、エドガー・ラミレスに対して、どうしてバッグでフロントガラスを割らなかったのか、となじっているのです。そこで二度目、マフィアのボスの息子ふたりを現金強奪犯としてつかまえる場面になるのですが、ひとりが外に走り出て車で逃げようとするのを2階の窓から見つけたラミレスは、ちょうど脇にあったテレビモニターを抱えるや、それを窓から放り投げて車のフロントガラスにぶち当て、すぐに自分も飛び降りて無事「犯人」の逃亡を防ぎます。ここでのエドガー・ラミレスキーラ・ナイトレイの指摘に忠実に、下に飛び降りる運動と車の破壊を見事に連結してみせたのです。クライマックスのラスヴェガスのタワーで演じられる、最上階の爆破と急降下するエレヴェーターという運動の連鎖は、ラミレスが二度目に完成させた動きの大がかりな反復なわけですし、映画の最後、ドミノ・ハーヴェイ本人がキャメラにほほえみかける後ろで、上方から何か大きな物体が落下してきて下に停められていた車を破壊するさまを捉えたあの不思議なショットは、「落下と破壊」の一連の運動がこの作品を貫いていることを明確に示しています。
荒野に突如現れたトム・ウェイツが再定義してみせるように、これは「命の交換」の物語です。冒頭から人質と1,000万ドルの交換が描かれるこの新作でも、トニー・スコットは前作『マイ・ボディガード』同様、自分の命と引き換えに「子供」の命を救う人びとの物語を語ってみせます。そこでは二重・三重の意味で「子供」の命が救われようとしているのですが、自らの死を覚悟してタワーの最上階に向かうキーラ・ナイトレイたちの姿は、だからこそこのうえなく悲しく、そして美しいのです。