『エネミー・オブ・アメリカ』(トニー・スコット)

DVDで。この映画を最初に劇場で観たとき、そのあからさまな『エンド・オブ・バイオレンス』(ヴィム・ヴェンダース)への言及ぶりに驚かされたものです。スパイ衛星や街頭に設置されたビデオキャメラによる監視社会という物語上の基本設定の同一性もさることながら、『エンド・オブ・バイオレンス』で重要な役を演じていたローレン・ディーンガブリエル・バーンというふたりの俳優を起用していることからも、それが意識的なものであることは明らかです*1。監視衛星による遍在的な視線と管理社会という設定を借用することはプロデューサーのジェリー・ブラッカイマーのアイディアなのかもしれませんし(可能性としてはそれがもっとも高いでしょう)、あるいは脚本家デヴィッド・マルコーニが持ち込んだアイディアなのかもしれませんが*2、『カンバセーション…盗聴…』(フランシス・フォード・コッポラ)からジーン・ハックマンの役柄を借りてくるといったつながりよりも、トニー・スコットからヴェンダースへのリファランスということのほうが、わたしにとっては興味深く感じられます。ハリウッドで商業的成功を収めたイギリス人監督から、「アメリカ映画」を撮ることに強く執着し続けるドイツ人映画作家への、それは共感の眼差しなのでしょうか。
ということで、またしても複数の視線にまつわる物語です。すべてはジョン・ヴォイトたちによる上院議員暗殺事件を偶然捉えていたキャメラに始まっており、物語は最初から視線に既定されています。ジョン・ヴォイト率いるNSAによる証拠隠滅作戦はありとあらゆる監視手段を駆使することで圧倒的な視線の遍在ぶりを実現し、そこからは誰も逃げ隠れすることなど不可能であるかに思われます。しかしウィル・スミスはジーン・ハックマンの助けを借り、NSAの手法を逆手に取って、彼らをどうにか地上的な視線の場所に引きずり下ろし、ラストの銃撃戦、あの視線のカオス、圧縮された視線の暴発地帯を導き出すのです。主人公(たち)を間に挟んでふたつ(ないしそれ以上)の組織が激しい銃撃戦を繰り広げるというのは『トゥルー・ロマンス』以降のトニー・スコット作品にしばしば採用されるクライマックスシーンなわけですが、それらの中でも間違いなくベストの出来です。ウィル・スミスのもぐりこんだテーブルの下の空間、あの白いテーブルクロスにすっぽり覆われた空間、その真上ではトム・サイズモアたちととジョン・ヴォイト一味の間で激しい銃撃戦が繰り広げられている、その隙間なく交錯する銃弾=視線のあいだに奇跡的にできあがったあの空間が、とにかく圧倒的にすばらしいのです。
ジーン・ハックマンとウィル・スミスが油田を走って逃げる場面の、緊迫したシーンのはずなのに時間が一瞬停滞したかのような不思議な感触もここちよい瞬間を作り出していました。
(12/13記)

*1:付け加えるなら、細かいことですが、道路の立体交差を真上から捉えたショットというのも『エンド・オブ・バイオレンス』との共通点と言えるでしょう。ただし立体交差自体はトニー・スコットが以前から好んで使う空間ではあります。

*2:ちなみに『エンド・オブ・バイオレンス』の脚本家はニコラス・クラインです。