『君と別れて』『生さぬ仲』(成瀬巳喜男)

東京国立近代美術館フィルムセンターにて。前者は小林弘人さん、後者は天池穂高さんのピアノ伴奏つき。ともに初見。
『君と別れて』はなんとも美しい作品で、成瀬の演出はここにおいてすでに完成の域に達しています。とにかくどのシーンをとってもすばらしいのですが、例えば吉川満子が息子(磯野秋雄)についての悩みを水久保澄子に話す橋の上の場面であるとか、水久保澄子が磯野秋雄とともに実家のある海辺の街に行く汽車の中であるとか、水久保の実家の場面における視線劇(父親に向けられる水久保の眼差し!)と、磯野と突貫小僧がいる二階と水久保らがいる一階というあの家の構造であるとか、ラストの品川駅での別れの場面であるとか、数え上げればきりがありません。
しかしそれ以上に打ちのめされたのが『生さぬ仲』です。正直に言って映画としての出来は『君と別れて』に及ばないでしょうし、「育ての母」と「産みの母」のあいだで繰り広げられる娘をめぐる争奪戦の描写は少々くどくも感じられるのですが、このねじれた「母子もの」にわたしはすっかり動揺させられ、中盤以降涙が止まりませんでした。いったん寝付いた娘がふと眼を覚まし、続けて娘を失って途方に暮れつつ床につく「育ての母」(筑波雪子)の姿にカットバックされ、「お母さん!」と呼びかける字幕に続けて娘が岡田嘉子の家を飛び出し、筑波雪子の家へと夜道を歩く途中で自転車にはねられ怪我を負ってしまうわけですが、包帯を頭に巻いてベッドに横たわる娘の姿は、物語の最初の方で筑波雪子が娘をかばって自動車にはねられ、同じく頭部に包帯を巻きつけて床に伏せる姿を正確に模倣していて、その模倣の正確さがそのまま「育ての母」への愛情の強さを示してしまうあたりには、もう理屈抜きで心を動かされてしまうのです。腹を痛めていない娘をこれほどまでに思う筑波雪子の愛情と、「産みの母」である岡田嘉子の、娘への深い愛情故に「育ての母」を慕う娘を最終的にあきらめざるを得ないという引き裂かれた感情に、もうスクリーンがかすんでしまうほど涙があふれ出てくるのでした。