『天使の眼、野獣の街』(ヤウ・ナイホイ)

DVDで。すばらしかったです。
 
ジョニー・トー作品の脚本家、ヤウ・ナイホイの監督デビュー作。ジョニー・トーがプロデューサーを務め、サイモン・ヤム、レオン・カーファイ、ラム・シュ、マギー・シューといったジョニー・トー作品の常連俳優たちが出演しています。
 
冒頭のシーン、市街電車に3人の男女が乗り合わせます。偶然同じ電車に乗り込んだのか、なにかしらの意図があるのか、また彼らがどのような職業に就いていてこのあとどのような行為に及ぶのか、いずれも全く不明なまま、電車に乗り込んできた男は女を一瞥してその隣の席に座り、女は隣席の男がカバンから取り出したパズル本を眺めつつも、はす向かいの席で眠りこけている男にそれとなく視線を向け、女に監視される男は不意に眼を覚まして席から立ち上がり、乗り過ごしてしまったなどといかにもわざとらしく口にします。市街電車の車中の出来事として簡潔に描かれるこの視線のサスペンスが、つまりはこれから語られるのが「視線」をめぐる物語であることを明快に告げています。事実それから数分後には、若い女が見習い刑事であり、彼女が尾行していた中年の男は監視班のリーダーで、これが監視班への配属を決める試験であったことがわかるのですが、そこでサイモン・ヤム演ずる監視班リーダーは新人刑事にこう告げます。「すべてを詳細にわたって記憶するのだ」と。
 
しかしこのフィルムのおもしろさは、新人刑事も含む監視班の面々が、すべてを見つめ記憶する装置=キャメラとして描かれている点にのみあるわけではありません。追われる側の犯罪者もまたキャメラであり、「eye in the sky」(この映画の英語タイトル)なのです。レオン・カーファイ演ずる強盗団のリーダーは、犯行現場近くのビル屋上から現場周辺を監視し、不穏な様子が見られるようならすぐに計画中止を指示します。通報を受けてから警官が駆けつけるまでにかかる時間を正確に把握し、その時間内に犯行(=映画)を完成させること、それをディレクションすることが、彼の役割です。
となればふたつのキャメラが対峙する場面もまた必然的に要請されるわけですが、その前にもうひとつ指摘するなら、この映画がさらにおもしろいのは、それらの視線がふと逸らされる瞬間が、各所に用意されていることです。そう、ここでは常に、ひとつの視線が別のベクトルの視線と並置されます。たとえば、強盗団のリーダーが指示に従わなかった部下のひとりに怒りを爆発させ、のど元に刃物を突きつける場面。一触即発の緊迫した空気が流れるなか、ひとりがふと隣のビルを見やると窓際で服を脱ぐ女性の姿が眼に入り、男は隣の男にそれを指し示す、そのうち順々に男たちの視線が下着姿の女性へと向けられる…。監視キャメラのそれも含む複数の水準の視線が並置され交錯するなかで、単なる「見る−見られる」の関係性ではない、重層化されたサスペンスが生まれるのです。
 
ふたつのキャメラ、新人刑事と強盗団のリーダーの視線が真っ向から向かい合う場面(レオン・カーファイの「キャメラ」が正しく機能する!)の後、サイモン・ヤムを負傷させたレオン・カーファイは人混みに紛れ、新人刑事は彼を見失います。あそこで降りしきる雨と傘がまたすばらしいのですが、その雨が不意にあがって、傘を閉じた人々のあいだにレオン・カーファイの姿が現れる、あの嘘のような瞬間こそが、このフィルムにおけるもっとも美しいショットと言えるでしょう。
 
ベテラン俳優たちもさることながら、新人刑事を演ずるケイト・ツイがとにかくすばらしいです。彼女の魅力的な眼がこの映画の美しさに大きく寄与していることは間違いありません。