『杏っ子』『夫婦』(成瀬巳喜男)

東京国立近代美術館フィルムセンターにて。どちらも2度目。
杏っ子』は成瀬作品の中でも大好きな一本で、個人的には大傑作だと思っています。ひさしぶりに観てやはり激しく打ちのめされました。中盤で香川京子が後ろの木村功の方を振り返らずにずんずん歩いていく場面があり、その姿が何とも言えず恐ろしいのですが、この作品では並んで歩くこと・並んで自転車で走ることが繰り返し描かれていて、この場面もそれらと対照されるかたちで出てきます。「並ぶこと」に重心が置かれる小津作品に対して、成瀬は「歩くこと」や「自転車に乗ること」の運動をフィルムに定着させようとしているようです。それから山村聡の家の庭、あの空間のすばらしさ。木村功香川京子が最初に暮らす貸家の空間も見事で、ふたりはその後実家の離れでの生活を経て一軒家の二階に間借りするのですが、階段を上がったところに小さな台所があってそこからすぐ狭い部屋が続くというここの空間がまた実にいいのです。実家に一週間ほど帰っていた香川がこの部屋に戻ってみると木村功は外出していて、しばらくして戻ってきた木村は飲んだくれており、ねちねちと嫌味を言ったかと思うと急に香川を抱き寄せようとするのですが、ここでのふたりの動き、交互に立ち、座り、また立ち、だらしなく寝転がるという姿勢の推移とそれに伴って変化する視線の演出が、ふたりの関係性の行き詰まりを、可能性を検証するかのように、振幅をはらんだものに描いてしまう、そこに懐の深さと同時に空恐ろしさを感じさせられます。
『夫婦』でも、上原謙杉葉子の夫婦は映画の終盤で三国連太郎の家を出て下宿屋の二階に間借りしますが、子供がいないことを条件に引っ越ししてきたその日に妻は妊娠を告げます。映画の最後でふたりは子供を産んで育てることを決意するので、この下宿屋も半年ほどの仮住まいとなり、またほかを探さなければならないわけですが、「転居を繰り返す」というのも『杏っ子』と共通する部分です。三国の家では夫婦は一階で生活し、三国は二階に暮らすわけですが、この一階と二階が人間関係を複雑にし、上原謙の嫉妬といらだち、三国の杉への恋慕を生み出しているように感じられます。だからこそ上原も杉も下宿屋の話に一も二もなく飛びつくのです。上原謙は人混みに紛れて妻の実家を見失い、別の場面では妻の姿をも見失うのですが、この頼りなさも非常にいいです。