『風の武士』『瞼の母』(加藤泰)

シネマヴェーラ渋谷にて。『風の武士』は今回初めて。南原宏治がむちゃくちゃ渋いです。これが3回目か4回目の『瞼の母』も『みな殺しの霊歌』同様に、幾度観ても涙腺を刺激される作品です。そもそもわたしは「母子もの」に弱いのです。字を知らない中村錦之助松方弘樹の母親に頼んで自分の握る筆に手を添えてもらう、その時背中ごしに感じる暖かさに、ふと自分自身の母のぬくもりを重ね合わせて目頭を熱くするという場面など、観ているこちらも思わず涙してしまいます。盲目の老婆のシーンの長回しももちろんすばらしいのですが、やはりなんと言っても錦之助がついに念願かなって実の母である木暮実千代と対面する場面から、続く立ち回りのシーンにかけての情念の高まりには有無を言わせぬものがあって、錦之助の母への想いが頂点に達して爆発しかけ、しかし突然のことにとまどって息子の気持ちをまっすぐに受け止めることができない木暮の言動により爆発しきれず(そしてそういう対応しかできなかった木暮の気持ちもまた、観ているわたしたちには痛いほどよくわかるのですが)、その鬱勃としたやりきれない気持ちが立ち回りの場面で飯岡一家の刺客たちにぶつけられるものの、人を殺めたことでますますやるせなさが募っていく、その感情の成り行きが観ているものをたまらない心境にさせるのです。ラスト、錦之助が渡っていく橋が、『車夫遊侠伝・喧嘩辰』や『沓掛時次郎・遊侠一匹』『江戸川乱歩の陰獣』といった、今回観た加藤泰のフィルム群に登場するいくつもの橋と結びつき、ことさらに涙を誘います。