『要塞警察』(ジョン・カーペンター)

先々週発売されたリマスター盤のDVD、買ったその日に観るつもりがいろいろあってようやく本日観ることができました。
この映画、時制を現代に置き換えた西部劇*1(孤立した砦を襲撃する「インディアン」と、その砦を守る人々の話)であると同時に、口唇器の映画でもあります。オースティン・ストーカーが最初に登場する場面で口笛を吹いていること、ダーウィン・ジョストンが最初に口にする台詞がタバコを要求するものであることは、このふたりが孤独な(単独の、独立した)口唇器の持ち主であることの表れです。そしてオースティン・ストーカーの唇にコーヒーを、ダーウィン・ジョストンの唇にタバコを与えるローリー・ジマーが、ふたりの男性とともに最後まで生き残るのは*2、彼女が口唇器的存在に敏感に呼応する感覚を備えているからにほかなりません。そして彼ら3人が警察署の地下の暗闇のなかで、前方の閃光を前にして横に並び立つ終盤は、この作品を「映画」をめぐる映画たらしめていると感じます。
というわけで、わたしはこの映画を観るたびに、ハワード・ホークスと同時に相米慎二を、特に『東京上空いらっしゃいませ』と『お引越し』を、思い出すのです。
 

*1:具体的には『リオ・ブラボー』(ハワード・ホークス)の翻案であることを、ジョン・カーペンター自身が語っています。

*2:実際にはもうひとり、娘を殺された男も生き残るのですが、警察署に駆け込んでから最後までずっと心神喪失状態のこの人物は、言うまでもなく他の3人とは異なる物語的役割を果たしています。