『レディ アサシン』(オリヴィエ・アサイヤス)

吉祥寺バウスシアター1にて。2回目。
うまく言葉にならずとてももどかしいのですが、がんばってこの映画の美しさについてなにか書き残しておきたいと思います。
 
たとえば、殺人を犯して香港へと逃げるアーシア・アルジェントが、中継地点のマドリッドの空港(と思われる場所)で、化粧品店のスタッフの眼を盗んで商品の口紅を素早く塗るシーン(ショット)があって、この女性が「口唇器」の人であることが明瞭に示されているわけなのですが、冒頭のマイケル・マドセンのオフィスの場面から彼女が繰り返してみせる、唇に指で触れる仕草が、昔の恋人を誘惑し彼が自分を自宅に誘うよう仕向けるという物語的な機能のほかにも、彼女の抱える「孤独」、「孤独」と言って陳腐に過ぎるなら「ひとりで生きる」ありようの表れであることは確かです。
しかし、オリヴィエ・アサイヤスのフィルムにおける「口唇器」性は、たとえば後期相米慎二のフィルムにおけるそれとは若干異なっていて、『東京上空いらっしゃいませ』の牧瀬里穂中井貴一、あるいは『お引越し』の田畑智子の唇を震わせるのと同じ振動が、アーシア・アルジェントマギー・チャンの唇を動かすことはありません。だからふたつの「孤独」な唇の震えがお互いを招き寄せ、決定的に出会ってしまうような奇跡の瞬間は、アサイヤスのフィルムの主人公たちからはあらかじめ奪われているように思います。
先ほどの口紅のシーンの前後には、パリからマドリッドマドリッドから香港への飛行機内で、彼女が水の入ったペットボトルを両手で抱きかかえるようにして持つふたつの場面が配置されています。この後、アーシア・アルジェントは香港でたびたび水を口にするのですが、それに対してパリにいた頃の彼女の唇はタバコをくわえていて、マイケル・マドセンの唇にあったタバコをすっと取り上げて吸ってみせたりもします。香港でも一度だけ、ケリー・リンと対峙する場面でタバコを吸うわけで、タバコは緊張を示す小道具として用いられているのですが、あくまで「口唇器」にこだわるなら、アーシア・アルジェント演ずる主人公はマドリッドの口紅を境にして、タバコから水へと移行するのです。
そして「水」がこのフィルムのもうひとつの重要な主題となっています。アーシア・アルジェントマイケル・マドセンを殺した直後に失神してしまうのですが、倒れ込む前に這うようにして台所まで歩き、水で手を洗います。香港ではフェリーに乗った彼女がマイケル・マドセンの家の鍵を川(海?)に投げ捨てる場面もありますが、その香港で国を失い恋人からも離れ理解できない言語の中にひとり投げ出された彼女がしばしば水を口にするのも、おそらく「水」が「ひとりで生きる」彼女の助けとなるからなのです。
 
バウスシアターの爆音上映ではマイケル・マドセンの低い声が身体に響いて実に心地よく、今これを書きながらその感触が甦ってきて、もう一回観に行きたくなってしまいます。まだ観ていない人はぜひ。美しいラストシーンのあとにかかるスパークスがまたたまらなくいいのです。

レディアサシン [DVD]

レディアサシン [DVD]

Number 1 In Heaven

Number 1 In Heaven