『ザ・ウォーク』(ロバート・ゼメキス)

立川シネマシティにて。3D版。素晴らしい映画でした。
わたしは極度の高所恐怖症で、ワールドトレードセンターでの綱渡りのシーンでは手汗が止まりませんでした。


(2/1追記)
ふたつのビルのあいだに渡されるロープとはもちろんフィルムそのものであり、いかにしてロープを渡すかをめぐる描写が上映時間の大半を占めるこの映画は、まぎれもなくフィルムについてのフィルムです。どのようにしてフィルムが掛け渡され、上映(プロジェクション)が行われるか。だからこそラストの綱渡りのシーンで、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演ずる主人公と彼を支えるロープを見上げる人々の視線が、観るものの心を強く揺さぶります。


それではその「フィルム」の上を行きつ戻りつし、時にその上にかがみ込み、時には寝そべってみせる主人公とは一体何者なのでしょうか。上映されるフィルムは基本的に一方向のみに流れ、上映トラブルをのぞいて上映中に戻ることはありませんが、上映が終われば次の上映に備えて巻き戻されます。あの繰り返される往復運動はそのような意味を持つのでしょうか。ただひとつ言えるのは、全編にわたりナレーションの声を響かせもする主人公が、あの綱渡りのシーンに至って、徐々に「誰でもない人」とも言うべき亡霊性・非在性を獲得し始める、ということです。もちろん彼は血肉の備わったまぎれもない人間であり、怪我をした足からは血がにじんだりもします。しかしあの緊張感あふれる場面にあって、彼の人間離れしたパフォーマンスが、彼自身を徐々に超越的な存在へと近づけているのも、確かに思えます。


血を流しもするが、同時に超越的でもあるような存在の名前を、われわれは知っていますが、そこまで言うといささか行き過ぎかもしれません。主人公が両手に持つ、バランスを保つための棒が、さらなる連想をかき立てもしますが、ここではあの美しい『キャスト・アウェイ』のトム・ハンクスを想起させる、「亡霊じみた主人公」というゼメキス的主題を指摘するにとどめます。