『ソウル・オブ・マン』

唐突ですが、今日から「音楽映画特集」を始めたいと思います。今さっき家にあるDVDを眺めていたら音楽を扱った映画が結構あるので、それを続けて観るという企画。と言いつつ明日にも挫折しそうな予感もありますが。
 
今日は『ソウル・オブ・マン』(ヴィム・ヴェンダース)。マーティン・スコセッシ製作総指揮「ザ・ブルース ムーヴィー・プロジェクト」の1本です。
ブラインド・ウィリー・ジョンソン(の声を演ずるローレンス・フィッシュバーン)のナレーションにより、自身も含めて3人のブルースマンが取り上げられるのですが、まずこのナレーションが、宇宙から、太陽系の端からの語りという設定をとっているのがとてもおもしろいです。2003年の現在からの語りでもあるわけで、1949年に死んでいるブラインド・ウィリー・ジョンソンの魂が、宇宙の彼方から語るという枠組みは、ある種の「距離」をこの映画にもたらしているように思います。その「距離」はドイツ人であるヴェンダースがアメリカのルーツミュージックを語ることにともなう「距離」でもあるでしょう。作中で使われるJ.B.ルノアーの記録映像を撮ったのがスウェーデン人であること、再現映像がアイリスなどを使ったサイレント映画風の白黒映像であることもまた、「距離」の感覚を生んでいます。そう考えると、現代のミュージシャンたちによる3人の曲の演奏についても、「距離」をはらんだものとして聞こえてくるのです。
30年の空白を経て60年代に復活したスキップ・ジェイムズも、ヴェトナム戦争公民権運動を題材に歌った最初のブルースマンであるJ.B.ルノアーも、「距離」を内に抱え込んだミュージシャンとは言えないでしょうか。
単なるブルース礼賛の映画ではなく、アメリカにおける黒人の苦難の歴史への視線も織り込んで、「距離」をもって語られるブルースのもうひとつの歴史を、観ることができたように思いました。
 
再現部分で、初日のセッションを終えてホテルに戻りベッドに横になっているスキップ・ジェイムズが、ふと起きあがってカーテンを開け窓の外を見るシーンがあり、そういう細部の演出も実にいいです。数多く登場する現代のミュージシャンのなかではベックの演奏が一番心に響きました。