『夢で逢いましょう』

後半またしてもボロボロ泣いてしまいました。最近すっかり涙腺がゆるくなっちゃって。歳はとりたくないですね…。
過去に家族の喪失を経験しているものたちが、普段はそのことをことさら意識せずに過ごしているのですが、さらなる喪失の兆候に出会った時、以前の経験がよみがえってきて切実な喪失感にさいなまれる、その悲しさがことさら身にしみるのでした。欠落を内包した家族という小津的設定がすべてのこのドラマ、矢田亜希子野際陽子がふたりして長塚京三をからかう日常の場面が実によくて、涙を誘うのです。家族三人のくつろぐ居間の向こうには仏間があって、長塚京三が夜になると仏壇にビールを供える姿が毎回映し出され、常に「今ここにいない」母親の存在が意識されている、そのことがこのドラマのエモーションを強く裏付けているのだと思います。
それにしても矢田亜希子押尾学を意識するようになるきっかけが父親との類似というのは、いささか安易とは言えませんでしょうか。このあたりをどう展開していくのか、次回以降が気になるところです。