言語感覚

世の中にはいろんな人がいるもので、会社でわたしの向かいの席に座っている女子は、まわりの男子が「僕」という一人称を使うと、決まって「大人なんだから『僕』って言うな、キモチワルイ!」と実に不快そうな顔をします。なるほど言われてみればそういう言語感覚の人がいてもおかしくはないけれど、自分のことを指して「僕」という人は昔に比べればずいぶん増えてきて、公の場(会議の席とか)で使う人も多いわけですし、そういう意味では「僕」という言葉から幼児語としてのニュアンス(「ボクチャン」)はずいぶん薄れてきていると言えるわけで、そんなに目くじらたてて言うほどのことでもないんじゃないかと思うんですけど、その一方でわたしも含めてまわりのみんなが「なんか言ってるけどまあどうでもいいや」と思っているのも事実で、結果的に誰もそれについて異議申し立てをしたりしません。彼女は「キミ」と呼ばれるのも不快らしく、その理由は「おい、キミキミ」みたいなニュアンスで受け取れるからでしょうが、「(そう呼びかけてくる相手が)なんかエラそう」だかららしい。そんな彼女自身、言葉遣いが昔風だったり堅苦しかったりするかというと全然そんなことはなくて、普段はいわゆるギャル言葉で話してます。
このような狭量な言語感覚に直面して、ではわたしがどう感じるかといえば、先にも書いたとおりどうでもいいと思っていて、たいがいの人も同じように感じるだろうけど、それでもこんなことをグダグダ書くくらいには引っかかるものがあって、それってやっぱりコトバに関する問題だから、なんだろうなー。よく考えたら微妙な問題で、「たいがいの人も同じように感じるだろうけど」なんて書いたけど、アンケートとったわけじゃないから本当のところはよくわからないわけで、「僕」っていう一人称使う男子は「甘えキャラ」っていうのが世間一般の共通認識なのかもしれません。
まとめると、人類の歴史で幾たびも繰り返されてきた不寛容の縮図が、目の前に座ってる女子の言動に垣間見られるっていう話です、ハイ(大げさ