『宇宙戦争』(スティーヴン・スピルバーグ)2回目

新宿オデヲン座にてオールナイト初回。他の方の日記をいろいろ拝見して、気づいていなかった重要なポイントを教えられ大いに刺激を受けるとともに、またしても自分の感想文の稚拙さと思考放棄ぶりを反省して恥じ入っております。それが悔しかったというのもあるんですが、純粋にもう一度観たくなったので行ってきた次第。
トム・クルーズのマシーン(アンドロイド)的な振る舞いにはやはり「プログラム」を正確に遂行しようとするものの「浅はかさ」「薄っぺらさ」が的確に表れていて、そしてこの演出・演技上で意図的に作り出された「浅はかさ」「薄っぺらさ」こそがこの映画の重要なポイントとなっているように思いました。ラストの幻想的といってもいい家族の再会場面の美しさは、『A.I.』でハーレイ・ジョエル・オスメント演ずるアンドロイドが2000年の眠りの後に、未来人(宇宙人でしたっけ?)の手によって甦った母親(のクローン)とともに過ごす幻想的な一日のようで、涙なくして観られないシーンなのですが、それも「プログラム」が完遂されることの気の遠くなるような「むなしさ」と「浅はかさ」と「薄っぺらさ」から来る涙なのです。そしてしかし、繰り返しになりますが、スピルバーグは決してシニカルでも感傷的でもないはずで、いかにして「プログラム」が物語の中で機能していくか、遂行されていくかに、ただただ持てる技術を集中し、全神経を注いでいるだけなのでしょう。
多くの人が指摘していることでしょうが、唐突な嵐と雷に始まりトライポッド出現にいたる一連のショットの連鎖は実にすばらしく*1、これだけでも観るに値するフィルムになっているし、ダコタ・ファニングに子守歌をせがまれたトム・クルーズが歌うのがビーチ・ボーイズの“Little Deuce Coupe”であることや、ガラスに開く3つの穴*2とそこから撮られたショットなど、まだまだ消化し切れていない細部がたくさんあります。ティム・ロビンスが出てくる地下室の場面は『ジュラシック・パーク』を想起させるサスペンス演出が見事でした。

*1:魅せられたようにその出現の光景に見入ってしまうトム・クルーズの表情がとにかくよくて、その顔にわたしたちもじっと見入ってしまう…

*2:正確には4つ以上ですが、重要なのは3つです。