『ビッグバッドママ』(スティーヴ・カーヴァー)

DVDで。十数年前にビデオで観たときには今ひとつこの映画の良さを理解できていなかったけれど、いやいやこれはこの上なく美しいフィルムです。このあっけらかんとしたたたずまいはどうでしょう。車は暴走し、銃は乱射され、至る所で現金強奪が行われ、女たちのまとう薄っぺらな生地の衣服はすぐにはだけて乳房をあらわにし、母親も娘も実にあっさりと男たちの前で裸になる、そこには心理の翳りなどみじんもなく、観るものの(ありもしない)郷愁をむやみとあおったりもせず、ただただだらしなく欲にふける人間たちの姿が、そのだらしなさとは真逆の簡潔な手つきで描かれていくのです。アンジー・ディッキンソンももちろんすばらしいけれど、娘役のふたりの女優が実によくて、ちょっと空想癖があって寂しがりやで子供っぽい妹と、紙巻きタバコをふかして銃をぶっ放したり、好きな男に積極的にせまったりするおませな姉、という設定も絶妙です。男たち(ウィリアム・シャトナートム・スケリット)も何とも言えずよくて、アンジー・ディッキンソンをめぐって嫉妬するにしても、決して心理的な奥行きを持たせない表層的な演技に徹するあたり、本当によくわかっていると思います。そして物語を的確なショットの的確な連鎖(としか言いようがない)で語るスティーヴ・カーヴァーの才能。ラスト、トム・スケリットとアンジー・ディッキンソンのアップでの切り返しは決定的で、さらにディッキンソンを数ショットであっさり死なせてみせるあたり、唖然とするぐらい的確です。
 
(7/28追記)「的確」という表現はどうも誤解を招きそうなので修正。書きたかったのは、この映画の演出・撮影・編集が過不足のない「適度」な描写などというものには到底収まらず、「決定的」としか言いようのない、これ以上ないくらい簡潔なショットと編集で事態が描かれる、その驚くべき明解さについてなのです。そしてこの簡明さは誰にでも可能なわけではないのです。さらにそして、たとえそうであったとしても、誰もがこの簡明さに立ち返ることを心がけるべきです。