『東京暮色』(小津安二郎)

DVDで。これは2回目。
後期小津の家族をめぐる物語は大概もう少し喜劇的で「明るい」のだけれど、ほんのちょっとしたことでこうした「暗い」話に変わりうるのだなぁと思いつつ観ておりました。ここでも小津の演出はサスペンス豊かで、最後まで緊張感のとぎれることがありません。
全然話は違うけど、昨日観た『早春』は夏の話で、登場人物たちがうちわやら扇子やらでぱたぱたあおいでいて、『東京物語』でも人びとが手にするうちわの白さが非常に印象的だったのですが、『東京暮色』は季節が冬で、冒頭のシーンで笠智衆浦辺粂子のやっている飲み屋で「ずいぶん冷え込みますねぇ」みたいな会話をするし、別のシーンでは雪も降るのですが、そういった季節の描写も、もちろんこの映画のトーンに深く関わっています。
この作品のもっとも美しい場面と言えば、やはりラスト近くの上野駅ホーム、山田五十鈴が北海道に旅立つ列車の中で、娘の原節子が見送りに来てくれるのではないかと、窓を開けて長い時間ホームを見渡し、夫の中村伸郎に諦めるよう言われてもまだ諦めきれずに、閉じられた窓ガラスの曇りを懐紙で拭くところで、眼差しを向ける対象を共有するパートナーも*1、視線の対象(ここでは原節子)すらも失ってしまった姿が示されるわけです。小津作品における「窓」というのは、例えば『早春』のラストで池部良淡島千景は下宿の窓から汽車を眺めやるわけですし、『東京物語』の香川京子原節子の乗る汽車の時間を覚えていて、教室の窓の外に眼を向けるわけで、窓の外に視線を向けるときに小津映画の登場人物たちにはしかるべき視線の対象が与えられることになっているのですが、どうやら『東京暮色』ではそうならないのです。まして窓ガラスが強調されることなど、これまで観てきた作品群にはなかったかと思います。そういう意味でも、この映画は『早春』や『東京物語』や『晩春』の、いわば裏返しになった作品と言えるのかもしれません。

*1:中村伸郎は、横に並んで座ることはあっても、視線を共有するパートナーとしては描かれません。