『浮草物語』(小津安二郎)

DVDで。初めてです。
予期していたことではあるのですが、昨日の『女の中にいる他人』(成瀬巳喜男)がものすごく尾を引いていて、一日中この映画のことばかり考えていました。落雷で停電した夜、ろうそくの灯りの中で小林桂樹新珠三千代に浮気を告白する場面、そして旅先で宿の付近を散策中にトンネルに入り、不意に画面が暗闇に覆われる中、声を反響させながら小林が新珠に殺人を告白する場面、これらの場面での人物の動かし方、ショットの連鎖にはやはりただならぬ緊張感があって、それは凡百のサスペンス映画をはるかにしのぐ圧倒的な緊張感で、ああこれが成瀬だったと、一度思い出させられるともういてもたってもいられなくて、観てない作品もこれまで幾度も観た作品も、どれもこれも観たくてしかたなくなってしまうのですが、会社勤めの身であり体力もすっかりなくなってしまったわたしにはそれもかなわず、それでもこの機会なので、無理しない程度にはやっぱり観ておきたいと思っています。
それはともかく…『浮草物語』の話でした。後に『浮草』として自らリメイクするこの作品において、すでに主要な場面の演出は『浮草』のものと大きく変わっていないように見えます。例えば駆け落ちから戻った息子(三井秀男)と一座の若手女優(坪内美子)に坂本武が殴りかかり、逆に三井秀男に突き飛ばされるクライマックスの場面、あそこの一見単純に見えてその実非常に複雑な人物の動きとカット割りに関して、詳細に比較したわけではないので若干の違いはあるのかも知れませんが(いやもちろん少しは違っているでしょうが)、ほぼ後の『浮草』で見られるものと同一のかたちになっているわけで、つまりはこの映画が作られた1934年の時点で、すでに小津の演出は完成していたのだ、とも言えるわけです。
逆に違いをあげつらってもしかたないように思えるのですが、例えば『浮草』では中村鴈治郎率いる一座は船でやって来るのですが、『浮草物語』の冒頭場面では、汽車から降りて駅を抜ける一座の姿が描かれます。そこからのつながりでしょう、川口浩若尾文子が逢引きするのが船の引き上げられた浜辺だったのに対して、三井秀男と坪内美子は汽車の線路脇に並んで腰掛けるのです。
最近小津映画の中の帽子が気になっているのですが、この作品でも三井秀男の帽子が、前途有望な学生の身分を示す記号として使われていて、坂本武がしきりにその帽子を手にしてうれしそうな様子を見せ、時にはそれを自分でかぶったりもします。それとこれは『浮草』でも使われていましたが、三井秀男と坪内美子の関係を知った坂本武が芝居小屋の客席で坪内と八雲理恵子に怒りを爆発させる場面で、天井から不意にハラハラと落ちてくる紙吹雪の雪が実に美しくて、同時に最初の晩の芝居の途中で拍手をしていた観客のひとりが雨漏りに気づいて天井をを見上げ、じきに雨漏りがひどくなって芝居見物どころではなくなるという場面があって、シーンの途中で不意に導入されるこれらの垂直軸が、物語を活気づけるのでした。