『噂の娘』『雪崩』『君と行く路』(成瀬巳喜男)

東京国立近代美術館フィルムセンターにて。どれも今回初めて。『噂の娘』のとてつもない傑作ぶりにはすっかりやられました。冒頭の、床屋のガラス窓から向かいの酒屋を捉えたショットからしてすばらしく、歩行の運動でつないでみせる編集もさることながら、冒頭のショットにとどまらず、全てのショットが美しさと強度を持って観るものに迫ってくるのです。橋の上にいる梅園龍子と大川平八郎を、橋の下を通る水上バスに乗った千葉早智子が目撃するシーンは、そんな中でも最高の瞬間を形作っており、その時千葉と梅園は視線を交わし、互いに互いを見たことを認識するのですが、どうもこのことが父親の逮捕と一家の崩壊を導いてしまったかのような、そんな決定的瞬間となっているのでした。一家のご隠居を演ずる汐見洋が何とも言えずすばらしくて、このフィルムに豊かな奥行きを作り出しています。
『雪崩』の佐伯秀男と江戸川蘭子の演技(というか容貌)にはちょっとがっかりしたし、旧士族の金持ちどもの観念的なゴタクなんて断然お呼びでないのですが、それでも演出には成瀬の手つきが確かに感じられて好ましく、汐見洋がここでも佐伯秀男の父親で嫁(霧立のぼる)の理解者という役柄で出ていて作品のトーンを決めているあたりもよかったです。
『君と行く路』は(『噂の娘』ほどではないけれど)これまた実にいい映画で、どうもわたしは大川平八郎という俳優が大好きなのですが、彼が海岸線の道を車で疾走する場面など観ていると、往年のハリウッドスターを観ているような気にすらなってきます。夜、男が窓を開けてレコードをかけると、向かいの家に住む女が同じレコードで男の元に来ることを伝える、というような部分には、「映画的記憶」ということもあるけれど、成瀬的な空間の広がりがここにはあって、窓や扉を通じて家の内部と外部が嘘のようになめらかに接続されるという空間演出こそ成瀬なのだと、あらためて強く感じさせられるのでした。