『エスケープ・フロム・L.A.』(ジョン・カーペンター)

吉祥寺バウスシアターにて、もう一度。これから先フィルムで、しかも爆音で観る機会などそうそう訪れようはずもないと思うと、いてもたってもいられません。一昨日観たばかりだというのに、あまりのおもしろさに会社での疲れも吹き飛んでしまいます。
カート・ラッセル=スネーク・プリスキンとは「見られる存在」である、と一昨日書きました*1。物語の極端なまでのご都合主義ぶりをあげつらうとか、逆にそのご都合主義ゆえにこの作品を賞賛するとか、そういった振舞いをするつもりは毛頭ないのですが、例えば冒頭でカート・ラッセルの手につけられるひっかき傷(によって彼の体内に入り込んだ病原菌)とラストのホログラムのトリック(というほどのこともなく観客にはすぐにわかってしまうのですが)から、わたしたちは奇妙な点を見いだすことができます。つまり、時間制限と任務の遂行(「ブラック・ボックス」の回収)に対するカート・ラッセルの内的な必然性(理由付け)が冒頭のひっかき傷にあって、物語の動機付けは全てここに担保されているはずなのに、ラストで大統領の前に現れて「早く解毒剤を注射してくれ」と言うのはカート・ラッセルのホログラム映像であって、彼は最初から解毒剤の注射など放棄しているわけなのです*2。つまり、カート・ラッセルは最初からひっかき傷に始まる一連の必然性(=「物語」)をフィクションとして捉えていたことになり、原子力潜水艦を暴走させたりといった彼のやけっぱちな態度をここから説明することもできるでしょう。しかしそれはともかく、彼はフィクションと承知の上で、端末とディスクを回収して大統領に渡すというミッションを決められた時間内に無事やり遂げるのです。ここでカート・ラッセル=スネーク・プリスキンが「時間を守る存在」であることが明確になります。ひっかき傷をつけられ、定められた時間に忠実であるような「見られる存在」。カート・ラッセルが隻眼であることや、ホログラム装置という細部からも明らかなように*3、このフィルムは「映画」についての映画なのです、などと言うとなんだか阿部和重さんみたいになってくるわけなのですが…
もうひとつ、ラストの世界中の電気・電力の消滅とは、第三世界でもアメリカ合衆国でもない第3の選択ということももちろんあるでしょうが、それよりも、ひとりの女性を救うための行動だったのではないでしょうか。その女性とは、国家に対する反逆行為から電気椅子に座らされる大統領の娘(A・J・ランガー)なわけですが、処刑直前に電気が消滅して死を免れた彼女の、闇に沈んでいく顔を捉えた美しいショットを観てそう思ったのは、物語の中盤で唐突に死んでしまうヴァレリア・ゴリノのことがあるからなのでしょう。カート・ラッセルヴァレリア・ゴリノを救えなかったことの代償として、大統領の娘を助けたということになるでしょうか。それにしてもカート・ラッセルがなんのためらいもなくボタンを押して、信号を受け取った人工衛星が着々と作動していくさまは何度観ても感動的で、ばかばかしくも涙があふれてきます。
 
(9/28追記)世界中の電気が消えて地上が闇に沈む瞬間を、電気椅子に固定された姿勢で迎える大統領の娘とは、まさしくわたしたち観客自身であり、映画の上映が始まる瞬間、電気が消されて劇場が暗くなっていく中で椅子に座って前方を見つめていた、100分前のわたしたち自身の姿なのです。しかし、闇に沈んでいく彼女の視線の先にあるものを示すかのように、続くショットでカート・ラッセルのホログラム映像は消滅してしまいます。それではこれは映画の始まりではなく、映画の消滅を描いているのでしょうか。「映画は死んだ」ということなのでしょうか。
いや、カート・ラッセル=スネーク・プリスキンが「映画」であるならば、例え死んだという噂がまことしやかにささやかれようとも、何度でも繰り返しわたしたちの前に姿を現すはずです。そしてラストショット、マッチの炎に照し出された映画=亡霊=カート・ラッセルがひとつだけの瞳でじっとスクリーンのこちら側を見つめるあの視線を、灯りの消えた劇場の中でわたしたちはこれからも感じ続けることでしょう。

*1:冒頭の登場シーンでテレビ中継され、ラストでも警察官たちに囲まれて銃を突きつけられたさまを同じくテレビキャメラで撮られ、さらには映画の中盤、スタジアムでのバスケットボールの場面でも、銃口を向けられながら奇跡的なパフォーマンスを見せ、観衆の視線を自らの上に集めるのです。

*2:もちろんこの後のどこか、例えば大統領の演説中、みなの注意が大統領に集まっている間に本物と入れ替わったのだという解釈も十分あり得ますが、なにしろまわりを警官たちが取り囲んでいるわけですから、この可能性はかなり低いと言えるでしょう。

*3:ミッションを告げられる場面で、大統領と警察署長らの映像は、カート・ラッセルの背後にある映写機から彼の眼前に投影されます。