『勝手に逃げろ/人生』(ジャン=リュック・ゴダール)

吉祥寺バウスシアターにて。boid presents Sonic Ooze Vol.8「爆音ゴダール・ナイト#1」の1本目です。
ゴダールの映画はどの一本もかけがえのないものですけれど、あえて一番好きな作品、大切な作品を選べと言われれば、わたしは『フォーエヴァー・モーツアルト』か『勝手に逃げろ/人生』と答えるでしょう。そのぐらいこの映画のことが大好きです。「80年代のゴダールを予告する作品」とよく言われますし実際その通りだと思いますが、このフィルムにはそれ以前の作品とも以後の作品とも違う、この一作かぎりの何かがあるようです。音楽から受ける印象も加味されて、ジョン・カサヴェテスの映画の感触が甦ってきます。ジャン=クロード・カリエールの脚本への参加も、独特の手触りを生みだしている要因のひとつでしょう。
この映画のナタリー・バイは本当に美しくて、彼女の長い髪が風になぶられ、少し乱れた髪をそのままに顔を横に向けてじっと考えに沈む表情、下を向いてノートに何か書き付けては時々鉛筆の芯をなめる仕草、それらのクロースアップがとにかくすばらしいし、自転車で走る姿も実に素敵です。そのナタリー・バイを始めとして、窓際に立って外光に照らされる女性たちの姿を非常に美しく捉えたいくつかのショットがあって、冒頭のシーンでもジャック・デュトロンがいるホテルの部屋の窓から差し込む外光が印象的に撮られていて、室内と室外を「窓」と「外光」という要素で接続することが試みられているのだと思います。それとはまた別に、ジャック・デュトロンがナタリー・バイと喧嘩した後、映画館の前の列に並ぶ時の、夜の街を捉えたこれまた美しいショットがあって、ゴダールは夜の街とそこを明確な目的もなくぶらぶら歩く男性や女性をとても魅力的に撮るのですが、こうして美しい細部を挙げていけばきりがなく、駅で女が男に殴られる場面(レーサーがいきなりやって来て、また去っていくあのシーン)だとか、ジャック・デュトロンがナタリー・バイに机ごしにいきなり飛びかかる(それをイザベル・ユペールが戸口のところから見ている)場面だとか、いくらでも続けていけますし、要するに全部好きなんです。ジャック・デュトロン演ずる中年の主人公の、離婚した元妻や娘とも冷めた関係しか取り結べず、恋人のナタリー・バイともうまくいかずに諍いばかりで、いささか自棄気味なところのある人物像も、とても魅力的です。
「今聞こえていた音楽は何?」というセリフが何度か出てきて、ラストではBGMかと思われた音楽を幾人かの演奏家たちが実際に作中で奏でていたりします。「登場人物が耳にしている音・音楽」と「登場人物の耳には聞こえていない、語りを補強するための音・音楽」とを意図的に混同するという刺激的な「遊び」がここでは演じられているわけで、観ていて思わずニヤリとさせられます。
(10/19記)