『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(青山真治)

シネセゾン渋谷にて。
観てから一週間近く感想を書かずにいたのはつまらなかったからではなくて、この非常に魅力的で力強いフィルムの、その魅力と力強さを言葉にする術が見つからず、ああだこうだといろいろ考えていたせいです。いまだに考えはまとまっていないのですが、思いついたことをひとまず書き連ねておきます(近いうちにもう一度観るつもりなので、その時に備えて)。

  • この映画を観てわたしが一番に連想したのは『デーモンラヴァー』(オリヴィエ・アサイヤス)です。感触的にはかなり近いと思います。
  • 明確な意図に基づく人物の類型性と物語の(とりあえずの)わかりやすさ、そして少女を救う「音」を実際に鳴り響かせてみせる点で、この映画はとても「野蛮」だと言えます。もちろんその「野蛮」さは弛緩を意味するわけではなく、練り上げられた脚本と考え抜かれた演出・撮影の繊細さがあって、初めて実現可能なものです。
  • 視神経に取りついて自死の信号を送るウイルスが、ある種の音楽によっておとなしくなるという設定は、もちろん映像と音響という映画を構成する二要素を対置してみせるのですが、当たり前かもしれないけれどこれは映像に対する音響の優位というような簡単なものではあり得ません。そのことは草原のライヴシーン、フィルムで撮られた部分とデジタルビデオの映像が混在するあの一連のショットに表れているように感じます。あの音響に拮抗するような映像とでも言いましょうか。
  • 草原のライヴシーンでは、あの爆音を通してすべての過去と未来が顕現し共存し共鳴し復活するわけで、パイプをくくりつけた回転装置や作中を通して浅野忠信中原昌也が収集してまわる音は、死者と生者を同時に存在させるための地道なレッスンなのです。
  • 今思いついたのですが、これは「引き裂かれてあること」と「同じ場所に同時にあること」のせめぎ合いの話だ、と言えるような気がします。
  • 最初の砂浜のシーンの横移動、そして作品の基調をなす波と風の音は、とにかくすばらしくて、こうして書いているとあれをもう一回体験したくてしかたなくなってきます。
  • 岡田茉莉子の日傘、川津祐介のマフラー。
  • 宮崎あおいがストレッチャーに横たわって移動するところ、救急車の中でも横になってCDウォークマンで音楽を聴きながら窓外の景色を眺めるところが、これまたとてもよかったです。
  • この作品において音量はとても重要なのですが、その点シネセゾン渋谷はかなりがんばっていたと思います。次回も渋谷で観るつもりです。ぜひいつかバウスシアターのライヴ用PAでも観て(聴いて)みたいものです。

思いついたら書き直し、書き加える予定。
(2/4記)