『シン・ゴジラ』(総監督:庵野秀明、監督:樋口真嗣)

立川シネマシティにて。通常音量での上映とのことでしたが実際はそこそこ大きな音で、ゴジラの雄叫びが重い振動をともなって身体に響き、迫力満点でした。
映画はおおいに楽しめました。お、こんなに早くから姿をチラ見せするのかと思っていたら、陸にあがって全貌があらわになってみるといわゆるゴジラの姿かたちとは似ても似つかず、あれ、こいつとゴジラが戦う話なのか?と思いきや…というあたり、実にうまいです。中盤のゴジラが東京都心を焼き払う場面がとにかく素晴らしく、誰もが巨神兵を想起させられるわけですが、あそこで口からビームを放つときにゴジラの下顎がふたつに割れるのがよかった。いわゆる「クリーチャー」なんですよね。
他方で「メルトダウンした原発を冷却停止する話」という3.11の物語に(アニメ業界の)職人たちの物語を重ねたフィルムとして観るとき、その政治的なナイーヴさは気にならなくもないのですが、災害に巻き込まれた一般市民の視点が欠けていることよりも(それはなくても全然構わないと思います)、むしろラストの戦いが、長谷川博己と周辺状況のカットバックで構成されるというあの単調さにこそ、問題があるような気がします。あそこでの長谷川博己はただ突っ立って事態を見守るだけで(いや、いろいろ指示を出してはいるのですが)、ゴジラと直接的に戦うわけではない。この映画ではゴジラによって多くの人が死んだという話が語られはするものの、ゴジラと人が直接的に対峙する場面は描かれません。これがたとえばジェームズ・キャメロンなら、長谷川博己の身体を拡張させて、ゴジラと取っ組み合う場面を撮ったに違いありません。あるいはハワード・ホークスを観たものならば、ラストのシーンで一連の装置が十全に機能する様を、もう少し爽快に描けないものかと感じるでしょう。そういうものが観たいというのは、まあしかしないものねだりでしょうね。
なんにせよ、ゴジラの迫力については文句なしに素晴らしいし、人間側の話を政治家たちの動きと圧倒的な情報量で見せるというアイディアも成功していると感じます。スクリーンで観るべき映画ではありますが、BD出たら買っちゃうかもしれません。