『サイコ』(アルフレッド・ヒッチコック)

DVDで。先日の『チャーリーとチョコレート工場』(ティム・バートン)に触発されて、ひさしぶりに。何度も観ていて物語の成り行きや結末を知っていても、観始めればやっぱり引き込まれてしまいます。有名ないくつかの場面やショットももちろんいいのですが、前半でジャネット・リーがパトロールの警官につきまとわれる一連の場面や、後半の保安官の家を訪れる場面などもとてもすばらしくて、緩急をつけつつも一瞬たりとも飽きさせません。ジャネット・リーの死体を包む半透明のシャワーカーテン、ベイツの「母親」のベッドにくっきり残ったくぼみ、といった細部がおもしろくもあり、おそろしくもあります。特にベッドのくぼみは異様な雰囲気を十分以上に伝えていて、すでにこの世にいないものの残した痕跡として、その空っぽさ、空白の存在が底知れぬ異様さを感じさせます。そういう意味ではモーテルの裏の沼と似ているのかもしれません。あの沼も強烈で、車が飲み込まれていく場面は最初に観た時以来深く記憶に刻みつけられていて、時折あの情景が脈絡なく脳裏に甦ってきたりします。
チャーリーとチョコレート工場』と『サイコ』を(半ば強引に)関連づけるなら、ウィリー・ウォンカ=ノーマン・ベイツということになるでしょう。街のはずれの少し小高くなった場所にそびえる大きな工場で暮らす謎めいた工場主と、同じく小高い丘の上にある屋敷に住む孤独なモーテル経営者。一方は抑圧的な父親を持ち、他方は同じく抑圧的な母親に育てられ、両者ともに親との関係性がトラウマ的に人生をゆがめる要因になっています。そしてどちらの映画も、工場=屋敷の探索と秘密の解明が物語の中核をなしているわけです。ウォンカがチョコレートを製造して世界中に出荷するのに対して、ベイツは死体を製造して車に押し込めて沼の中へと「出荷」する、とまで言うのはいささか行き過ぎかも知れませんけれど。