村上春樹『女のいない男たち』(文藝春秋)

女のいない男たち

女のいない男たち

通常営業……とはいえわたしは村上春樹の短編が嫌いではありません。おそらく外部のコード(「短編小説」というジャンル?のフォーマット)に、村上がそれなりに忠実であろうとしているからなのだと思います。自身の主題より外在的なコードが優先されている、と書くといささか言い過ぎになりますが、少なくとも両立を目指しているようには感じられます。
もちろん村上春樹的な主題が全面に押し出される作品もあります。「木野」がそれで、村上春樹の長編小説を濃縮還元したような印象を受けます。そしてそれ故にこの短編は退屈なのですが、それよりも納得がいかないのが「シェエラザード」で、いやもちろん主人公が「ハウス」に送られた理由、そこから外に出ない(出られない)理由を明かさないというのもひとつの手法だと理解していますが、読者としてはやはりそこでのひっくり返しというか逆転というか、そういうものを見せてほしいわけです。書かれていないことを推し量ろうとすればいくらかの想像は可能でしょうが*1、少なくとも明示されたテクスト上からはそれを読み取る術がない。それともわたしの読解力が低いだけなのでしょうか。なんだかだんだんそんな気もしてきました。

*1:たとえばネットのどこかで読んだ感想に書かれていましたが、主人公が実は「シェエラザード」の高校時代の恋の相手で、主人公は記憶を失っているとか。