『トップガン』続き

昨日の感想で、「戦闘機のシーンはどうもアクションがぼやけてしまっている」などと書きましたが、それが自分でも引っかかっていて、日中ずっとそのことを考えていました。そして、まだはっきりとは言えないけれど、あの位置関係も明確でなく事態の推移もセリフによって推し量るしかないドッグファイトのシーンこそ、トニー・スコットならではの場面なのではないかという気がしてきています。トニー・スコット作品のよさを、わたしはまだはっきりと言い表せないでいるのですが、昨日も指摘した的確な場面構成と簡潔な演出という特質とともに、どこかしら過剰なものが彼のフィルムにはあるようで、例えば『マイ・ボディガード』の後半、物語上の必要性を超えて、いささか暴走気味に残虐さを見せ続けるデンゼル・ワシントンには、その過剰さが体現されていたと思います。『トップガン』の空中戦にも、同じその「過剰さ」が表れているように感じるのですが、味方機が先に撃墜されたからといって敵国の戦闘機をガンガン撃ち落としてしまうというのは、その敵国のパイロットの顔をはっきりと映し出さず記号的に示してみせる点から言っても、ほとんど『駅馬車』(ジョン・フォード)の時代の西部劇における「インディアン」と同列の描き方で*1、1986年の映画でこんな無茶をしてみせるのも、その「過剰さ」ゆえのことだと思うのです。

*1:こんな言い方をしたからといって、もちろんPC的見地からそれを非難したいわけではありません。念のため。