『デス・プルーフ in グラインドハウス』(クエンティン・タランティーノ)

日比谷みゆき座にて2回目。昨日「『傑作』というのとはちょっと違いますけれど」なんて書いてしまいましたが、いやいやこれは相当すごい映画です。
 
とにもかくにもラストのカーチェイスがすばらしいです。恐怖と安堵から来る涙が拭い去られ、一転して反撃を決意するあの瞬間の高揚感は実に鮮やかで(鉄パイプを手にして車に乗り込むゾーイ!)、鳥肌なくして観ることはできません。牛の間を抜けて疾走する2台の車を、すっと引いたキャメラで捉えてみせるあの呼吸、画面手前で重機が緩慢に動いていたりするあのショットなど、本当にすばらしいです。
 
「見る人」カート・ラッセル(登場シーンの目薬、双眼鏡、写真etc)は一方的に「見る」位置に安住していて、だからこそ拳銃で撃たれ、後ろから車でどつかれると(つまり自分に視線が差し向けられると)とたんに冷静さを失い、情けないほどうろたえてしまいます。逆に前半の最後の正面衝突は、暗闇の中に無防備な姿を見せる映像(女性たち)と音響(尽きることのないおしゃべりと大音量で鳴らされるカーラジオ)に対する、無媒介的で暴力的な接触=一体化への強烈な欲望なのだと言えるかもしれません。そして後半では、正面からぶつかり合うのではなく、後ろから、あるいは横から攻撃したがゆえに、反撃の余地を与えてしまう…つまりは交錯する視線と並行する視線という主題系が、前半と後半の二部構成によって示されているということになるでしょうか。