古井由吉「書く 生きる」(すばる2008年2月号)

わたしの小説は多くの場合、少し長い随想のような部分から始まります。そこからなんとか小説を浮かび上がらせようとする。短編の場合は、全部が随想に見えるかもしれません。長いものになると、小説の途中でまた随想的な文章を挟む。この随想風の部分は「渡り」や「渡し」というようなもので、そこで小説の中にいささかの展開の出るのをじっと待つのです。ここが作家としてのわたしの粘りどころでもある。どんな行き方であれ、作品の出発点と着地点の間のどこかで境を越える。それが小説だ、とわたしは思っている。境を越えるというのは、差違を渡った、その跡を記す、ということになるでしょうか。小説的に境界を越えるのが小説だ、と言っては同義反復になります。小説らしくない道を取って、全体として小説になろうという、試みです。自分でもよくよく検証もします。なかなか思うようには行きません。小説を読み馴れた人からは、これは小説なのかと疑問に思われることもあるでしょう。エッセイや評論を書く人からは、これはしょせん小説だと言われる。けなしているのか、ほめているのか、わかりません。そんなところに道をとってきたわけです。