『アイランド』(マイケル・ベイ)

物語的には『マトリックス』で、前半は『トゥルーマン・ショー』でもあり、さらにナチズムの記憶なども用いられているのですが*1、まずは脚本がひどい。スティーヴ・ブシェミの役どころなど、大事なところなんだからもうちょっとちゃんとしてほしかった。演出もグダグダで、「本物」(=「発注者」)のユアン・マクレガーが撃たれる場面など、観ているこちらは着ているものでどっちが「本物」でどっちがクローンかわかってしまうわけです。その後、帰宅したユアン・マクレガーを迎えたスカーレット・ヨハンソンは、帰ってきたのが「本物」の方なのではないかと一瞬疑うものの、すぐクローンの方だと判別するわけですが、手首の焼き印を確認するとか、訛りについての伏線もあるわけだから、そういう手続きは使った方がよかったと思います*2
しかしそれでは130分もの時間を退屈に過ごしたかというとそうでもなく、ところどころ楽しめる細部があって、それなりにおもしろく観たことは事実です。例えば警備会社のリーダー(ジャイモン・フンスー)がヨハンソンに協力するきっかけとなるのが烙印であるというのは悪くない設定だし、中盤のハイウェイでのカーチェイスシーン(まさに『マトリックス リローデッド』!)で、車が次から次へとクラッシュする場面では、どの車もおもしろいようにくるくると回転するその過剰な単調さが逆に楽しいし、高層ビルの窓の外に追いつめられたマクレガーとヨハンソンがビルの看板ごと地上に落下するところなども、金網に引っかかってふたりが助かってしまうというご都合主義が実にいいです。回転運動はラストにも出てきて、マクレガーがクローンたちを欺くためのホログラム装置の運転をストップさせるわけですが、その止まるさまが、巨大な円盤の回転運動の停止として描かれるわけです。続く場面でマクレガーはワイヤーで鉄橋から宙づりになるのですが、「引っかかって地面への衝突を免れること」が、ここでも反復されている、という見方もできるかもしれません。
それにしても気になるのはこの後、です。解放されたクローンたちはいったいどうなるのか。物語の中盤で、地下壕の中だけでなく、その外の世界も監視キャメラやネット情報などによる監視網に覆い尽くされた管理社会であることが描かれるわけですが、では「発注者」と同じ顔を持ち、場合によっては同じ記憶を有するクローンたちが、外界に出て、果たしてそのまま平和に生涯を終えました、ということになるのでしょうか。ユアン・マクレガースカーレット・ヨハンソンはボートで現実の「アイランド」へと旅立つのですが、果たして「外」なんて存在するのでしょうか。「アイランド」=「外」があるという詐術こそ、クローンたちの社会で強要された偽の希望だったのではないでしょうか。ということで、この物語の続き、「発注者」たちによる迫害から逃れたクローンたちが地下に潜り、「発注者」と入れ替わって豊かな生活を手に入れるべく「発注者」をつけ狙うという話を観たいです。

*1:終盤にガス室(焼却炉?)の描写があります。

*2:まあしかし、こういう部分からすると、「本物」かクローンかというサスペンスは、部分的に使われてはいるものの、この映画においては中心的主題として設定されていないということなんでしょう。