『姿なき脅迫』(ジョン・カーペンター)

ビデオで。週末恒例「ジョン・カーペンターの復習」シリーズ。ソウル・バス風のタイトルデザイン*1に始まり、向かいのビルからの望遠鏡によるのぞきという『裏窓』を思わせる設定など、ヒッチコックの影響を指摘することはさして難しくないでしょう*2。しかし事情は『裏窓』の場合と微妙に異なっているようです。まず先に窃視されるのが主人公のローレン・ハットンの側であること、続けてそこではのぞきだけでなく盗聴まで行われるという点です。ところで、「窃視と盗聴」とは要するに「映像と音響」であり、ここでもまたカーペンターの関心は「映画」にある、ということになります。
犯人はローレン・ハットンに望遠鏡を贈り、逆に彼女の視線を誘おうとします。つまりは主人公を『裏窓』状態に巧妙に誘導するのです。そしてローレン・ハットンは犯人と思われる人物の逮捕劇を望遠鏡を通して観たうえに、今度はトランシーバーを持って向かいのマンションに潜入するまでにいたるのですが*3、ここで今度は逆に自室に向けて据えつけられた望遠鏡をのぞき、エイドリアン・バーボーが殺されるところを「目撃」することになるわけです。トランシーバーからの音声もあって、ここでのローレン・ハットンは犯人と同様に映像と音響の両方をもって、あたかも映画を観るかのように「殺人」場面を観るのですが、ではしかし、「殺人」は本当にあったのでしょうか。首を絞められて倒れこむエイドリアン・バーボーの姿は確かに望遠鏡の円形に縁取られた中に見え、トランシーバーを通して彼女の絶叫が聞こえはしましたが、映像としてはそこまでであり、「犯人」の姿もカーテンで隠れていたため全てを見通せたわけでもなく、最後までバーボーの死体が発見されたというような情報も示されることはありません。『裏窓』の「殺人」とは事情が違いますが(少なくともそれらしき現場は見せられるわけですから)、ここでも実際に殺人があったかどうかははっきりしないのです。
しかしここで、『裏窓』におけるヒッチコックのように、ジョン・カーペンターが映画における「観る」ことの自明性を疑い、制度としての映画をその内部から崩壊させるようなやり方でこれを作っているかというとどうもそんなことはなくて、「映画」が主題であったとしても、カーペンターはその機能のしかたの方に関心があるのだと思います。例えばこの作品でも最後に「悪人」はベランダから落下しますが、そういった「映画」という装置の機能をこそ、個々の作品で円滑化させようとしているのだと思うのです。

*1:具体的に言えば、『北北西に進路を取れ』のタイトルデザインにそっくりです。

*2:ご丁寧に「めまい」ショットまで使われています。

*3:このあたりは『裏窓』を参照していることが非常に明瞭に示されています。