『秋津温泉』(吉田喜重)

ポレポレ東中野にて。初見。あまりにすごいシーンの連続に、呆然となりながら何も考えられずただただ最後まで画面を見続けるのみでした。岡田茉莉子が旅館の廊下(あの写り込み!)の椅子や河原の石や樹の幹に頭をあずけるようにして寄りかかるさまがなんとも美しく、長門裕之と岡田の歩きも岡田が走るところもすばらしいですし、帰ろうとする長門を引き留めて駅前の旅館に入った岡田が、長門に強く強く執着していながらも、いや執着しているが故に、寄り添う長門から逃げ惑うようにして部屋の中を動き回る場面であったり、ふたりの出会いの場面、旅館の物置部屋に置かれたいくつかの鏡と、後半ふたりがついに結ばれる直前に、岡田が離れの部屋で鏡をのぞく場面であったり、いやもうとにかくすべてのショット、すべてのシーンが強烈で、男の一時的な死への欲動と言葉に一生囚われてしまう女の、その時間差の残酷さが痛くて痛くてたまらないのでした。
上映後の吉増剛造さんのお話は、映画とはまた違ったかたちですごくて、文字で埋め尽くされたA3のペラ(吉増さん言うところの「フリーペーパー」)も強烈でしたけれど、自分の書き連ねた言葉を遠く大気圏の外から眺めるかのような視線がユーモラスで、遅延と性急さ(30分でお話をきれいに終わらせていました)が交互に立ち現れる語りのテンポとあわせて、実に魅惑的なのでした。『秋津温泉』については、「岡田さんのまぶたの(宇宙的な)開き」*1と「鉋の声」という指摘がおもしろかったです。
(2/12追記)『秋津温泉』の林光による音楽もまた実にすばらしかったことを、忘れないように書き加えておきたいと思います。音楽がエモーションのかなりの部分を積極的に担っているわけですが、だからといって過剰に情緒的にはならず、映像との関係において高度な緊張感が持続されていくあたり、並大抵のものではありません。

*1:という言葉遣いをされていたような気がするのですが違っているかもしれません。