『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(デヴィッド・クローネンバーグ)

東劇にて。すごくおもしろい映画でした。映画や小説で過去に幾度も語られてきたようなありふれた物語でありながら、眼の前にある映画はなんとも不可思議でいびつなかたちをしていて、これといって奇をてらった場面があるわけでも、クローネンバーグお得意の異形の物体や身体改変が画面に映し出されるわけでもなく、ごくごく普通のショットが続くわけですが、その連鎖はこれまで観たどんな映画にも似ていない、奇妙な手触りのフィルムになっているのです。ひとつ考えられるのは主人公の造形で、ヴィゴ・モーテンセン演ずる主人公のからっぽさ、深みを欠いたありようが、この奇妙な感触をもたらしているようにも思います。アメリカの田舎町で食堂を営む気のいい男、という絵に描いたような典型的なアメリカ人(?)というからっぽさ*1、そして敵に襲われると条件反射的に身体が動いて相手をためらいなく倒すという、思考を欠いた殺人機械としての自動運動*2
ヴィゴ・モーテンセンの経営するダイナー、ヴィゴとマリア・ベロの性交場面(コスプレも階段も)、息子が学校のロッカールームでいじめられる場面、ショッピング・モールのシーン、家の前庭でのエド・ハリスとの対決、そしてラストのウィリアム・ハートの屋敷と、どの場面も非常に充実しています。エド・ハリスの強烈な登場シーンもさることながら、ウィリアム・ハートのどこか田舎くさいギャングがなんともすばらしかったです。

*1:アメリカ人がからっぽだという意味ではもちろんなくて、そうした典型的なキャラクターをいかなる倒錯的な意図もなしに引き受ける(演ずる)ことのからっぽさを言っているのです。

*2:こう書いていると、なんとなく『ボーン・アイデンティティー』(ダグ・リーマン)の主人公を思い出させられもします(映画としては全然似ていませんが)。