『悪魔のいけにえ』(トビー・フーパー)

DVDで。これまでにビデオでも数回観ていますし、数年前(十数年前?)のリバイバル時にはフィルムでも観ましたが、何度観てもその美しさに圧倒されてしまいます。
 
この映画、本当に「美しい」の一言に尽きるのですが、その「美しさ」をあえて言葉にするなら、レザーフェイスもヒッチハイカーもコックも彼らの家も廃屋もガソリンスタンドもすべて含んだ全体、上映が始まってから最後のスタッフクレジットに至るまでの映画全体が、あまりの滑らかさ故に感知することが不可能なほどの円滑さでもってその機能をまっとうしてしまう、その「装置」としての透明性こそが美しいのだと、ひとまず言えるのかもしれません。ともあれ、わたしにとっての「映画」のひとつの原型、ひとつの規範が、間違いなくここには存在します。
 
5人の若者のうち最初のひとりが殺される場面、階段下の赤い壁に吸い寄せられるように近づいていった青年が、突然眼の前に現れたレザーフェイスにハンマーで殴り倒され、そのまま引きずり込まれて、鉄の扉がレザーフェイスによって荒々しく閉められるまでの、決して短くはないはずなのにあっという間に終わる一連の画面の連鎖は、装置の機能する様がもっともよく表れたシーンだと思います。マリリン・バーンズが「グランパ」のハンマーから逃れ、窓ガラスを突き破って外に転がり出ると、いつの間にか夜が明けていて朝日に照し出されたあたりの風景が眼の前にぱっと広がるあの瞬間も、なんというか本当に「美しい」のでした。